私は今年で45才となりました
美容学校へは18才から1年間通い
19才からヘアサロンに勤務(入社)して以来
キャリアは27年間目を迎えました
キャリアの途中には離職はないので
いわゆる毎日の髪型ざんまいを
なかなか長く続けて来たと思います
美容師という進路を決意したのは13才の時
姉の愛読書< olive>に掲載されていた
ヘアサロンスタッフ面々の髪型が素敵で憧れ
ヘアメイクの道具、メイクボックスの中身に惹かれ
都心部で勝負したいと東京を意識したものです
13才から17才までが美容師への準備期間であり
この<青春>であり<人格形成期?>を
頭の中は<髪型>で満たされていた事が幸いして
今まで続けてこれたのだと思います
中学、高校というのは人生について大いに悩み
傷つき、学ぶ頃ですから
途中で進路を変更する事も考えられる筈です
今になって冷静に考えてみると
日本国の美容師は美容師法に基づく<国家資格>
であるという事です
国家資格ともなれば
養成機関となる美容学校が存在しますから
進路を定め易かったという事です
勿論、昭和の当時ではインターネットはありませんので
本屋へ行き
<美容師になるには>的な紹介本を閲覧して
藁にもすがる思いで美容学校へ見学に上京したものです
全ては美容師に向かう為
何故美容師に向かうのかは
全ては髪型の為。
今でこそ髪型は<ヘアスタイル>や<ヘアデザイン>
という呼び方をしますが
私の場合はやはり<髪型>とミニマムに発する方が
あっています
髪型には男女の性別や年齢格差などありますが
私の場合は髪型に垣根がありません
オールラウンドに髪型に固執していました
<固執していた>
これは良くもあり悪くもあるのですが
多感な高校時代にファッションと融合され
髪型=ファッション
髪型はファッションの一部であり
ファッションありきの髪型だと確信していきます
その化学変化的な確執は今でも長く残っています
しかし
このステージでは美容師とはいえなかったのです
端的に表せばこの時期の私は<髪型師>です
髪型師では国家資格ではありませんね
美容師とは師業
師から学びを得て人生を豊かに創るのです
私は度々のステージにおいて
<師>に恵まれる事ができました
こればかりは<運>としかいいようがないかもしれません
運は呼び込むもの、引き寄せるものともいいますので
前しか向いていない私は周囲からは
分かりやすい人間だったのかもしれません
何しろ髪型やファッションばかりに傾倒する私を
肯定し、かつ否して
ご指導(修正)して頂きました
まず始めに美容学校ではエステティシャンを目的とする
生徒達と触れて驚きます
髪型を作る?造る?創る?のがゴールじゃないのか!
世の中は広い
あなたの進路はヘアサロンなのねと先生にいわれ
返答に窮したのを覚えています
この時は無意識でしたが
美容に対する薄らかなコンプレックスを得ています
髪型一辺倒な私は弱いのでないか
私の脳内宇宙は狭いのではないか
後にトータルビューティーを目指す私の根は
美容学校で得たものです
19才で大手人気サロンへ入社します
そこでの修正は<社会的人間関係能力>の
絶対的な必要性です
先輩やお客様から<気に入って頂く>をクリアしなければ
仕事にありつけません
髪型に詳しくても上手くはなれません
人間的に懐に飛び込んで勝負する事を学びました
ここで助かったのは
家族の<師>に恵まれて育ったという事でした
祖父は地域の困り事相談員(公務員)
父は厳格な銀行員
全肯定な祖母
放任主義な母
評価的な姉
全てにおいて人間的な石杖を得ていたのです
正面衝突できるのは剣道のおかげですが、、。
美容師には人間関係を円滑にできる言葉が必要であり
人間的魅力を得たいとのステージに上がりました
そして22才は初級技術者的にデビューしますが
思うようにはお客様がつきません
当たり前ですが
お客様は<綺麗になりたい>がサロンにみえる動機です
が、私は髪型に傾倒していましたので、
その後幅広いお客様からの支持を頂くまでは
思考錯誤、右往左往を繰り返し今に至ります
美容師は文化的(お洒落)であり
トータルビューティーで捉え
オールラウンダーである
もしくはなりたい
目指すものだ
というのが答えになります
ステップやステージには師の存在
やはり弱いところに向き合ってこその
人間的成長
まだまだ課題は山登りのようですが
美容師道を邁進したいと思います。
重たいですけどね!